2006.08.23

リーダーでびゅー

ずいぶん期間が空いていたが、その間の私は何をしていたかというと…
風邪にやられてた。

毎日暑い日が続いてうんざりしていた時に風邪ひいた。
夏バテと風邪による体調不良で出かける気にもならず。

やっと、体調が戻りつつある最近。
お出かけ出来なかったので、仕事頑張ってました(笑)

職場が変わってはや5ヶ月。
明日からいよいよ、リーダー業務を行うことになった。

緊張しまくりである。
前の科の時もリーダーの前は情緒不安定になっていたが、今回もやはり変わらない自分を実感。
まぁ、背伸びせず焦らずじっくりと仕事に慣れていこうと思う。

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2006.06.25

BLS

先週末、病院内のBLS講習会に参加してきた。
BLSとは Basic Life Supportの略で人工呼吸・心臓マッサージ、最近ではAED(Automated External Defibrillator:自動体外式除細動器)の使用までを含めた一次救命処置のこと。その先にはACLS(Advanced Cardiovascular Life Support)気管内挿管や薬剤投与などの専門的処置を含む二次救命処置がある。

現在消防局などが主催して一般市民向けにもBLS講習会が広く行われている。
病院内にもAEDは設置されており、きちんとした講習は受けていないが使用法は何となくは知っていた。

私は、心臓の関連の病棟にいたこともあるので、AEDというよりはDC(直流(Direct Current)の意味で医学用語では直流除細動(カウンターショックともいう)の事)を患者さんにかける場面はよく見てきたので、似たようなもの、いざとなったら使えるだろう程度に考えていた。

BLS講習は半日かけて、倒れている人を見つけたらまずどの様に対処するか、どの順番で状態を確認し、どの順番で救命処置を行うか、説明を受け実践を行う。
救命処置に関しては曖昧な知識しか持っていなかったので、知識の確認と実践が出来とても役に立った。
AEDの使用法もきちんとデモ機を使って、使用方法を確認し、自信がついた。

最後に筆記と実技の試験を受けて合格出来たら講習終了。
立派な修了証をもらった。
また、職員プレートにも講習を受けたという証明としてシールを貼ることになる。

今まで知らなかったのだが、施設にAEDがある場合、施設に無関係の人(通りがかりの人)は資格や講習を受けていなくても非常時にはAEDを使用しても良いのだが、その施設の職員の場合は、今回のような講習を受けていなければ、AEDを使用してはならないらしい。

今まで、医療器械や薬剤もない中で、もし自分が急変した人を見つけた場合、私は看護師として何が出来るのだろう、という漠然とした不安を新人の頃から抱いていた。飛行機や船で「医療者はいませんか?」と探されていたとしても立候補出来るだろうか、と。

今回、こういう講習を受けて、ベーシックな救命処置は確認出来たので、何かあった時には今回得た知識を生かして少しは人の役に立てたら嬉しい。

しかし、mouth to mouthの人工呼吸用のフェイスシールド(口と口が直接接触しない為のカバー)なんて普段は持ち歩いていないから、いざとなったらここまで踏み切れるのかは疑問に思う。ハンカチで代用しても良いとは講義を受けたのだが。

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2006.06.17

話術

先日、ある医療機器を病棟で購入するにあたり、何種類かの機械がピックアップされた。
それを実際使う立場の私達がどれが使い勝手がよいのか、利点などを説明してもらうための説明会を病院側が設定してくれた。

医療機器メーカーの営業の人がそれぞれの機械を持って病棟にやってきた。
こういうプレゼンは看護師にはほとんど縁がない。

時間差でいくつかの機械の説明を聞いたが、こういう場面では営業の人の話術がすごく印象に影響するものだと実感した。

いかに、自分の製品を印象づけてもらうかはもちろん、聞く人が興味を持ったことを話題をそらさずに説明し、もちろん自社製品の性能の良さを実験結果資料や写真入り資料でアピールできる。

すごい技術だと思った。

普段あまりそういった説明を聞くことがないから余計にそう思うのかもしれないが、プレゼンをする人は沢山の努力をしているんだろうなと思った。
私達は、なんにもそういった話しに対する技術は持っていない。

病院において、看護師や医師はいつも上の立場に立って(無意識にそう思っている医療者が多いと思う)、患者への説明は時に威圧的になったり押しつけていることも多いんだろうなと感じた。
このように聞く側も楽しく引き込めるような説明が出来たら、もっと患者さんも安心して入院生活が送れるかもしれない。
そのために、私達も意識と「話す」技術を努力して向上してかなければならないのだろうな、と感じた出来事であった。

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2006.05.29

あわわ

先日、夜勤中に一本の電話が病棟に入った。
「救急の病床が満床のため、そちらの一般病棟で救急科の患者さんを引き取ってください」
というものであった。

病院とはつねに来た患者さんのためのベッドが空いている訳ではない。時には満床のときもある。
そんな時は、診療科の関係なく混んでいる病棟の患者さんは空いている病棟へ入院してもらうこともある。
最近は経営が厳しいとされているので、患者さんを断らずによくこういった依頼をしたりされたりする。

まあ、病棟も落ち着いていたので、夜勤で勤務者は少ないが大丈夫だろうと引き取りを承諾した。

蘇生後脳症、いわゆる心臓が停止していた時間が長く、脳にダメージを受けてしまった状況の患者さんだった。
程度はいろいろとあり、本日引き取ることになった患者さんはいわゆる「脳死」状態にある患者さんだった。

人工呼吸器を付けて病棟に運ばれてきた。
もちろん意識はない。

私は前の病棟で人工呼吸器を見てきているので、機械も慣れているものだったし操作も特に不安はなかった。
そして、自分の勤務をこなし、次の勤務の人へ申し送りをする。

そこで驚愕の事実
次の勤務者で人工呼吸器を見たことがある人がいなかったのだ。
こりゃ、大変。
看護師5年目の人も人工呼吸器を付けている人を見るのは初めてだと言う。
何かあったら大変!!

人工呼吸器での医療事故は全国で多発している。
人工呼吸器の事故はその患者さんの死に直結している。
そのほとんどが仕組みを理解していなかったり、基本操作を知らない人が起こす事故であると思っている。

夜中の1時間みっちり次の夜勤者に付いて、人工呼吸器の仕組みや操作の仕方、予想されるアラームへの対処の仕方、観察やケアの仕方を教えた。
何かあったら、すぐに医者に連絡、緊急を要しないことで相談したいことがあれば私に連絡して欲しいことを伝えて当直の医者にも本日病棟には人工呼吸器を付けている人がいることを伝えて(基本的に違う科の患者なので、当科の当直医はその人の状況を知らないため)体制を整えて帰路に付いた。

そして次の日。
その日も私は夜勤だった。
本日の夜勤で人工呼吸器を見れるのは私だけ。

そして・・・
その次の勤務者はまたしても誰も人工呼吸器を見れる人がいない・・・
前日と同様に夜勤者に人工呼吸器の講習会を真夜中に開いて、また同じように何かあったらすぐに誰かに連絡をという体制を確認して帰ってきた。

前の科では、勤務者が誰も人工呼吸器が見れないなんて事態は考えられなかった。
それだけ、今の科は全身管理と必要とする人が少ない事を意味し、それは患者さんに何かあった時(急変時)の対処が遅れる危険性を持っているということである。
改めて、気付かされた。

私、もう少ししっかりしなきゃ。
ということで、手始めに人工呼吸器の講習に出て、簡単な資格を取得することにした。
今回、いきなり指導の立場に立ったが、うまく理論立てて教えることが出来なかった。
私自身も知識が曖昧だったから。それに気付いたので、勉強することにした。
しかし・・・勉強しても役立てる場面があるかどうか・・・今の科ではほとんどないような気もするが。

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2006.05.19

ドキッ

照明を落とした部屋のベッドの横で
「起きたらいつでも言って。飛んで来るから」
と男性にささやかれた。

・・・といっても、ドキドキするようなステキなシチュエーションではなく、本日の仕事のなかの一コマ(笑)

今日は子供の患者さんのシンチグラフィーという検査の介助を担当していた。
放射性同位元素を注射して、一定時間をおいた後、それが臓器にどのようにどのくらい集積しているかCTみたいな装置で検査する。

検査には30~40分の時間が必要でその間検査台の上でじっとしていなければならない。
大人であれば、一言「動かないでください」と言えば済むことだが、今日の担当の1歳になったばかりの子にはあたりまえだが通用しない。

前日から、母親に子供を夜更かしさせてもらい、朝は早起きさせて遊んでもらって、その上で眠るための処置薬を飲んでもらったり座薬をさしたりして検査の時間に眠れるように、涙ぐましい努力をするのだが、なかなか検査中眠ったままでいてくれる子は少ない。

今日担当した子も、そんな感じで検査前までよく眠ってくれていたのだが、肝心の検査台に乗せたところ、起きてしまった。
しかも、眠るために飲ませた薬が変に効いてしまい、酔っぱらいのへべれけ状態(笑)で「うぉ~っ」「ひゃ~っ」と空を指さしながら叫んだり、ゴロゴロと体動が激しく、とても検査出来る状態ではない。

眠りやすいように検査室も照明を落として暗くしてもらって、いつも抱いて眠るというぬいぐるみなどを持っての入室だったが、目はとろんとして今にも眠りそうなのだが、私の胸をつかんだり(笑)、検査技師さんに妙な笑いを振りまいたりして、将来のその子の飲酒姿を見るような(笑)オヤジのような酔っぱらい状態で全然眠ってくれない。
(酔っぱらっている姿は面白すぎて、母や技師さんとともに私達は笑い転げて見ていたのだが)

そこで、医師を呼んで、より強力な眠るための全身麻酔薬の一種「ドルミカム」を注射してもらうこととなった。
検査室から病棟に電話して、医師を呼ぶ。
数分で医師が到着。注射した後の医師の一言が前述のセリフ。
まあ正確にはベッドの横、ではなく検査台の横で、なのだが(笑)
ちょっと脚色してしまった。

全然ドキドキするようなシチュエーションではないが、それでも子供が眠らずに、次の検査の患者さんがいて時間を気にしてだんだん検査技師さんの私に対する視線が「何とか眠らせてよっ」とキツくなる中、「飛んでくるから」の一言が妙に嬉しくて、確かに少しドキッとしてしまった一言であった。

ちなみに、その子の検査はその後問題なく終了したのだが、やはり目が覚めた後は少しの間酔っぱらい状態が続いて、またまたその子の姿をみて母とともに笑い転げてしまった。笑っちゃいけないと思いつつ、その子がきちんと座ってられずにフラフラと笑いながらベッドの上をゴロゴロしている姿はとても可愛いかった。ちゃんと目が覚めてご飯も食べられ、検査も全て終了したので、その子は本日無事自宅に退院となった。


札幌はこのごろ夏日が続いた。5月にしては3日間も25度を超えるなんて、なかなかないことだが、残念ながら仕事で通勤以外は外に出かけられなかった。
でも、本当に1日1日緑が濃くなり、通勤途中の草が昨日より確実に伸びていたり、つぼみの堅かった八重桜が満開になったりとここ3日間で、一気に草花が生長する姿を目の当たりにした。
北海道の春は本当に一気に草木が伸びる。冬の間、深い雪の下でこの日をじっと待っていたかのように一気に吹き出す。
自然の力強さを感じる日々。私も負けないように頑張ろう。

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2006.05.12

疎外感

唐突だが、今の病棟はとても暇だ。
仕事は定時を待って帰れるし、前の科のような、患者さんの命を預かっているという精神的なストレスも少ない。
まあ今は丁度大きな手術もなく、全身管理の必要な患者さんもいないからであり、忙しい時にはやっぱり忙しいらしいが、私が来て1ヶ月ほどはそんな忙しいこともない。
みんなが「忙しい」といっているのがどの程度なのか、少し楽しみだったりする。

そんな訳で、ナースステーションでのんびりお向かい(元の職場)の仕事の様子なんかも見ることが出来るのだが、とにかくあちらは忙しそうだ。
元の同僚に聞くと、ICUから帰ってきた患者さんが帰室後すぐに心停止、医者が心マ(心臓マッサージ)しながらICUへ逆戻りしたり、毎日2000ccもの多量の下血をしている人がいて、MAP(輸血)を入れても入れても出血で出てしまうような人がいたり、夜勤帯でも状態が急変してICUへ運ばれる患者さんがいたりと、かなり騒然としているらしい。

みんな、かなりの残業をしていて、遠目にも疲労の色が伺える。
たいへんだなぁ・・・

でも・・・
つい先日までは自分が実際に経験していた場面。
それが、今は外からしか見れないのが、今の私には少し寂しいのである。

私が、前の職場を希望したのは「病院で一番忙しい科」だったから。
自分に自信を持ちたくて、とにかく仕事がデキる看護師になりたくて、あそこに行った。
その結果、自分がいかに仕事が出来ないかを突きつけられ、大いに落ち込んだ。
泣いたこともしょっちゅうだったし、来た当初は毎日医師か先輩に怒鳴られていたような記憶しか残っていない。

でも・・・そんな中でも5年もの間働けて、その中でささやかながら自信も付けられたし、どんな状況でも乗り切れるという自信も持つことが出来るまでになれた。
時間で流される業務の他にも、忙しい中でも患者さんと目標を共有したり、計画を一緒に立案したりという患者さんとの信頼関係を築くための技術なども身につけることが出来たように思う。(自画自賛?)

私自身は、もう少し前の科にいる気でいたのだが、諸事情で出されてしまった(笑)
確かにあそこで働いていた時は「忙しいのはもうイヤ、早く楽な職場に移りたい」といつも口癖のように言っていたのだが、いざそれが叶うと、あの忙しさが懐かしくて、少し羨ましくて仕方がないのだ。

あぁ、本当に私って無い物ねだりの人間なんだなぁ、とつくづく思う始末である。

今は仕事が楽になって空いた分の時間をうまく使えずに、眠りこけている毎日(笑)
習い事や自分のために時間を使えるように少しリハビリしていこうかなと思う。

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2006.04.15

下着

先日、働き始めて慣れない新しい病棟で、1歳の患者さんのお母さんに汚物処理室で出会った。
まだまだ顔も名前も覚えられていないし、挨拶しても分かるかなぁ、と思いつつ後ろを向いて仕事をしていると不意にお母さんの方から声をかけられた。
しかも「看護師さんセクシーだよ」と。

「??」私は訳が分からず混乱していると
お母さんは「看護師さん、黒の下着が透けてみえているよ、患者さん達に大サービスだね」と言った。
慌てて鏡に向かって背中を映してみると
確かに、白衣から透けて下着が見えてる・・・

いつも、私は色の濃い服が好きなので(白とかピンクとかは好きじゃない)、下着もそんな色ばかりになってしまっていた。
だけど、今までも同じ事をしていたのに、誰にも言われたことはなかった~
みんな、黙って見ていたのかぁ・・・言ってくれよ。

そんなこんなで、そのお母さんにしっかりと顔と名前を覚えられてしまった。(笑)
まあ覚えてもらうのは良いことなんですが。
ちなみに、お母さんと言っても、私よりもかなり年下です。

まあ、白衣にも素材によっては下着が透けやすいものや透けにくいものがある。
昔々、1年目の頃、黒白のしましまパンツをはいていた時に患者さんに「透けてるよぉ~」と言われたことがあったっけ。
すっかり忘れてた。気を付けなきゃ。

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2006.04.08

配置転換

4月から新しい職場で働いている。
何がなんだか分からずも新しい病棟は人手不足で、もうかなりの即戦力を期待されて、一週間でかなりのスパルタ教育(笑)
病棟に出て2日で手術後の患者さんを受け持ち、翌日はICUから帰ってきた患者さんを受け、気が付くと昨日は病棟で一番の重症患者を看ていた。

同じ看護の仕事なので、内容が根本から変わることはないが、ちょっとした経時記録板の書き方や観察項目とか、物品の置き位置とか、その科独自の言い回しや患者さんへの指導方法などがあって、分かっていても今までの方法で良いのかなどを確認しなければ動けなくて、結構それが辛い。

かなり精神的に疲れた~。

しかし、実は3月まで働いていた科が向かいなので(笑)(水平移動しただけ)以前の仲間達が向かいで働いている姿がナースステーションのカウンター越しによく見える。向こうからも私がオロオロしている姿がよく見えていることだろう。(笑)

精神的疲労が強くて、ついに一週間持たずに仕事帰りに向かい(元の職場)に飛び込んで「誰か話を聞いて~一緒にご飯食べながら!」と食事に誘い、困った話や新しい発見や主に私の愚痴を聞いてもらってしまった。

かつての仲間が見えるところで働いているのはすごく心が落ち着くので私にとっては良いことだ。

週末ゆっくり休んでまた来週から頑張ろう。
そのために、CDやDVDをたくさん買い込んできてしまった。

余談だが、新しい職場になったから気分を一新して毎日手作り弁当持参で仕事に通っている。
友達にそのことを話すと「そっか~、ここ一週間寒くて毎日雪が降っていたのはそのせいだったんだ!」と言われた。
おおっぴらに言うことではないが、私は料理が嫌いだ。弁当作りもここ2年ほどはしたことがなかった。

済みません、今週の北海道の寒波と連日の降雪は私がガラにもなく毎日弁当作っているせいらしいです。(^_^; アハハ…

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2006.03.06

鎮痛剤

今日、研修医のひとりが手に細い管とその先につながった鎮痛剤を持って病室から詰め所に帰ってきた。
Epiと呼ばれる硬膜外麻酔の管を患者さんから抜いてきたのだ。
硬膜外麻酔とは脊椎の間に細い管を入れて脊椎に持続的に麻酔薬を微量ずつ注入し、局所的に麻酔を効かせる方法だ。(すごく漠然とした説明でごめんなさい)

傷のある部位を支配する神経の辺りに硬膜外麻酔を行うことで、傷の痛みを軽減することが出来る。
注入する痛み止めは水風船のような入れ物(商品名:シュアフューザー)に1日分ほどを注入することで、風船がしぼむ力を利用して一定に微量ずつの量を機械を使用しなくても注入出来る。よく考えられたものだ。

ある程度痛みが落ち着いてきたら、その管を抜くのだが、医師と看護師の連携が悪くて、本日は鎮痛剤を交換した直後にその管を抜去することになってしまった。
つまり、医師は鎮痛剤が沢山入ったままのシュアフューザーを手にしていたのだ。

近くにいた私に彼は言った
研修医:「この痛み止めはどうしたらいいんですか?」
私:「一回患者さんにつないだものは破棄するしかないです、それとも先生、自分に使いますか?」
と皮肉も込めて言ってしまった(笑)
(注:今回のは局麻剤単身だったので破棄。麻薬入りだったらきちんと返却しなければなりません)

すると、研修医は
「これが、心の痛みに効くのだったら使いたいです」と寂しく言った。
私、大爆笑!

思わず
「そうだったら、今の私は3本くらいは使いたいかも」と言ってしまった。
なかなか、面白いぞ、研修医(笑)
忙しい勤務だったが、笑わせてもらいました。


確かに、最近私の心の痛みは強いなぁ。
かなり強い鎮痛剤を使いたい気分。(塩モヒ入りとか←分かる人にしか分からないでしょうが)

昨日も、悲しくて泣いてしまった。
春だというのに・・・

週末、冬休み第二弾を取って遊んでこようと思う。
それで吹っ切れるかな。
旅から帰ってきたら、悲しみの訳を書いてみようかなと思う。
その頃には心の整理が付いているかもしれないから。(意味深っ!)

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2006.02.17

つ、ついに・・・

無事に研究発表が終わった。良かった良かった、と思ったのに・・・
一難去ってまた一難。

4月から異動してくれと言われた。ローテーションだ。
「行きたい場所に行って良いよ」って・・・
たぶん、希望どおりにはいかないだろうけど。
今の私は行きたい場所がない。
今の職場にいたい。というのが本音。

でも、それじゃぁ、成長しないだろうしなぁ。
ずっと外科畑できたから、今度は内科、というのが筋だろうけど
なんだか私は内科っていう雰囲気じゃない。

他のスタッフがローテーション対象になったので、
自分は大丈夫だと勝手に思ってた。
だけど、新人が予定よりもたくさん入ることになったので、私が押し出しをくらったらしい。(笑)
考えてみれば私も異動になって当然の年数を働いてきた。
だけど、油断してた。何も考えてなかった。(^_^;)
まだ、今の科でやりたいことがいっぱいあったのになぁ。

どうしようかなぁ。
週明けまでに答えを出さなければ。
といっても、ローテーションを断ることはできないので、行き先を考えるだけなのだけれど。
行き場所次第で、全然仕事の内容も変わるから、今の自分にとっては一大事だ。

困った困った・・・
悩める週末になった。

読んでいる人には面白くない記事になってしまったと思う。
でも、今日は笑って許して。
まだトップシークレット(全然そうじゃないですが(笑))なので、同じ病院の人には誰にも相談出来ない。
なので、ここで書いてしまった。

みなさん、うちの病院の重大な秘密を知ったということで、
くれぐれもこの秘密は漏らさぬように(笑)

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2006.02.12

鼻パックと心のこもった贈り物

先日16歳のVSD(心室中隔欠損症)の女の子が入院してきた。
今時の高校生らしく、病衣でもオシャレには気を遣い、机の上には常に鏡やカワイイ文房具などが置かれていた。そして、この年代の子らしく医療者に対してはあまり話そうとはせず、おとなしく過ごしていた。
彼氏や同級生のお見舞いもたくさん来ていた。

そして、手術後。
この年代の子らしく、かなり痛がり、全く動けない状況だった。
同じ手術をしても、もっと小さい子供であれば痛みがないと分かれば術翌日にはすぐにスタスタと歩き出したりする。大人ならば、痛みを我慢しても看護師の勧めるようにリハビリをしようと努力をする。
しかし、この年代は一番扱いが難しい。痛くないと分かっても、恐怖心が先に立ち、怖くて動けないのだ。
そして、「手術をした」という事で気持ちも落ち込み、私達が俗に言う「病に浸ってる」状態になる。

この子も手術の翌日は全くベッドから起きあがれない状態だった。
そんな夜、私が彼女を担当した。
ベッドから起きあがれず、食事もほとんど取らない彼女に何とかして元気になってもらおうといろいろと話しをした。
そして、消灯も迫った頃、彼女からナースコールがあった。
「できたら、家に電話して欲しいんですけど」と遠慮がちに言う彼女に、回復につなげられるのなら、と意気込んで「いいよいいよ!何の用事なの?」と聞いた。
「えっと、明日お母さんが来る時に鼻パック持って来てって伝えて欲しいんですけど」
「えっ、鼻パック?」
「はい」

・・・体も自由に動かせない状態で、鼻パックとは。
スゴイ思考回路。さすが女子高生、と感心(笑)しつつ、彼女の自宅に電話した。
母はいず、祖母が出たため用件を伝える。
「は?はなぱっく?はなって顔の鼻ですか?パックって?母親に伝えれば分かりますか?」祖母の言葉にちゃんと伝わるか不安だったが、翌日面会に来た母親はきちんと娘の望むものを持ってきてくれたようだ。

henp01そして、そんな彼女も手術から10日で退院となった。
退院前日、この日も夜勤だった私に彼女が声をかけてきた。
「楽しい入院生活でした。お礼に受け取ってください」
と指さしたのは机の上に並べられたいくつかの手作りのストラップ。
「この中から一つ選んでください。」
私は、気に入ったストラップ(写真のもの)を頂いた。
彼女は言う
「このストラップ一つ一つにおまじないがかかっているんですよ」
「そのストラップには《明日のテストは100点取れる》というおまじないがかかっています」
私、大笑い。
この歳になって、テストもないんだけど。でも高校生らしい発想を嬉しく新鮮に感じて、それを頂いた。

後ほど、違うストラップをもらったスタッフに、そのストラップにはどんなおまじないがかかっているって言われた?と聞いたところ
「これは《明日のご飯はオムライスになる》っていうおまじないがかかっているって言われた」
みんなで大爆笑。
みんな、彼女から頂いたそれぞれのおまじないのかかったストラップをネームプレートやペアン(鉗子)などに付けて仕事してます。(笑)私はこれをもらってからテストなどを受ける機会がないので、おまじないの効果があるのかどうかはまだ分かりませんが・・・

術翌日の鼻パックには驚かされたけれど、退院の時の心遣いに私は感激した。今時の女子高生も捨てたもんじゃないな、と感じた出来事だった。


henp02ちなみに、頂いたストラップがすごく気に入って、私もこれを作りたいといろいろと調べた。
ヘンプという麻の素材で作るらしく手芸屋さんには本や素材もいろいろあった。
研究が終わったら、是非編んでみたい。
それを楽しみに、いろいろと本と素材を買い込んで見つめながら論文作成を頑張っています。

実は・・・写真をよく見れば分かるかもしれませんが、待ちきれずに、2本ほどブレスレットを編んでしまった(笑)写真手前に写ってます。
論文発表が終わったら、こちらも解禁していろいろと編んでみたい。

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2005.12.16

人工関節が・・・

先日、つばささんの「存在という贈り物」の「TKA」の記事を見ていて思いだしたことがあった。

私は、昔整形外科に勤務していたことがある。
TKA(人工膝関節置換術)やTHA(人工股関節置換術)を受ける患者さんを数え切れないほど看てきた。

普通TKAなんかは、手術時間4~5時間程度のもの(今はどうなっているか分からないけど)なのだが、ある時、1例目(朝一番の手術)で入室したTKA予定の患者さんが夕方の7時まで帰ってこないことがあった。

・・・一体手術場では何が起こっているのだろう・・・
今勤務している病棟には手術室のモニターがあって病棟で見ることが出来るので、手術の進行状況を病棟でも把握することが出来るのだが、以前の整形病棟にはそういった設備は無かった。病棟には手術室の状況が分かる先生も誰もいなかった。

唯一手術室へつながっている直通の電話が病棟にあったが、もちろんそこで「どうなっているのですかぁ??」なんて聞けない(切迫した状況だったら「うるさい、ばかもん!」と怒鳴られかねない)

手術中に動脈でも損傷して予期せぬ事態に陥っているのか、全身麻酔に患者さんの体が耐えられなかったのか・・・いやそんな既往歴を持っていたり高齢な患者さんでもなかったはず・・・

夕方、私達の心配をよそに、普通どおりに麻酔から覚醒して帰ってきた患者さんを見てホット一安心。
一体、いつもの倍以上の時間がかかったのは何故??早速執刀医に詰め寄る。

「いや~関節を待っていたんだよ」
「はあっ??」

手術の前に医師は患者さんのレントゲン写真などから、骨の大きさや置換する部分のサイズを測り、それに合ったサイズの人工関節を注文し手術日までに取り寄せておく。
それを持って手術に臨むのだが・・・
その日の手術場で、注文した人工関節を開けてみたところ、注文した人工関節とサイズが違っていたらしい。
しかも、それに気付いたのはもう患者さんにメスを入れた後であった・・・

「ばかも~ん!!」執刀医は怒って(当たり前だ)業者に連絡を取った。「すぐに注文したサイズの関節を持ってこい!」

しかし、運が悪く、札幌にはそのサイズは無く、現在は東京にあるとのこと。
「すぐに持ってこ~い!!」の怒鳴り声で、その業者の東京の社員が飛行機に乗って、その関節を持ってきたらしい。

それが届くまでの数時間、患者さんは麻酔をかけっぱなし、傷は開きっぱなし(もちろん最善の全身状態の管理は麻酔科とともに行っていた)執刀医以下医師は手を下ろさず(「手を下ろす」というのは滅菌状態にした手袋やガウンを脱ぐこと。実際は見たことはないのだが、ドラマで「手術を始める」なんてセリフを医師が言う場面で両手を胸の前で上げた状態を取っているが、そんな感じで待っていたのではないだろうか)みんなで関節を待っていたらしい。

その患者さんへは、もちろん術後にではあったが、その事と次第を全て説明し、理解を得られたため特に問題にはならなかった。
術後の経過も順調で、予定どおりに退院を向かえることが出来た。


今だったら笑い話に出来るだろうが、その時の、特に業者さんは冷や汗かきながら過ごした数時間であったことだろう。
そして、執刀医にとっても、一時手術を中止して、後日手術をやり直すかどうかの判断に迫られた時間だったに違いない。

そんなこともあったなぁ~と昔のことを思い出した。
つばささん、思い出すきっかけをくれてありがとうございました。

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2005.12.13

不思議な出来事2連発

昨日仕事をしていて、日も暮れてから、最後の仕事として、空いた病室の整理を副師長と二人でしていた。
個室だったので、もう患者さんがいない今は、もちろん部屋には私達以外誰もいない。

付けっぱなしだった部屋に備え付けのEKG(心電図)モニターの電源を切ろうと、二人でモニターに向かったその時、そのモニターが警告音を出してきた。「ARREST」・・・
私達が一番見たくない警告表示だ。意味は「心拍停止」・・・

もちろんそのモニターを付けている患者さんもいないし、画面にはもちろん何の波形も表示されていない。
副師長と「なんでこんなアラームが鳴るのだろうね?」と首を傾げてアラーム音を消したその時、
なんと、3~4拍、心電図が表示されたのだ。

二人で驚いてしまって、声も出なかった。
3~4拍の後、心電図はフラット(平坦)に、そして、少し経ってまた3~4拍の波形が表示された後、フラットになって、それきりだった。もちろん心電図を感知したので、モニターはその後のフラットを再び「ARREST」と感知してやかましくアラームが鳴りだした。

EKGのコードをたどってみたものの、その先は宙にぶら下がったままだった。
ちなみに、ちょっとしたコードの刺激でも心電図のような波形が出るのかなと思い、EKGのコードを振ってみたが、なにも波形らしき変化は出てこなかった。
怖いという気はしなかったが、不思議な出来事だった。


昨日、日々の仕事の疲労が溜まりに溜まって早く寝た。
そして、日づけが変わった頃、除雪車の音で目が覚めた。

寝ぼけてはいたが、寝る前と決定的に変わっていることに気が付いた。
寝室の電気がついている。
なんで~!!
絶対に消して寝たはず。

誰が付けたんだろう。
もちろん、私以外に誰もいない。
不思議だ・・・

そんなこんなで寝不足なのに、今朝は朝っぱらから地震で目が覚めた。
地震は怖かった。朝から散々な目覚め。(^_^;)

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2005.12.05

緊張~

明日(もう日付が変わったから、今日)から日勤が続く。

リーダーである。

リーダーとは、字のごとく、一週間スタッフの筆頭に立ち、チームをまとめ患者さんに対する看護の方向性を定めてスタッフに指示し、また一方では医師とうまく情報交換や連携を図ることによって、看護業務を円滑に行えるように配慮する。そして他職種との連絡や連携を取って病棟のスタッフがスムーズに動け、患者さんの看護が進むように取り仕切る・・・等が主な仕事。

直接ベッドサイドでの仕事はないため、体は楽だが、いろいろなことに気を遣わなければならないし、責任も一スタッフに比べるととてつもなく大きいため、精神的に参ってしまう。
今、チームに起こっていること・全員の患者さんの状況を把握していなければならず、突発的な出来事にも素早く対処しなければならない。(こういうの、ものすごく苦手・・・)

私が学生指導や新人指導をしていたり、新しくリーダーに入る人たちの教育の関係もあって、私がリーダーをする機会が全然なく、なんとリーダーをするのは4ヶ月ぶりである。
今、もの凄く緊張している。

いつも、リーダーの前は情緒不安定に陥る。
初めてリーダー業務に就いた頃は、ほとんど眠れずに一週間を過ごしたものだ。
今はそれほどでもないが、やはりリーダーの前となると緊張し、やたらと何かをしたくなったり、逆になにもしたくなくなったり、泣いてみたり、陽気にはしゃいでみたりと、自分でも感情のコントロールが出来なくなってしまう。

今回も例外ではなく、期間が空いたせいか、いつもより緊張し、それは先週あたりから始まって、それをほぐすように読書に没頭し始めた。(単なる逃避です)

なんだか、もう秋は終わったのに、私の最近のブームは読書で、主に推理小説などを2週間で15冊は読んでしまった。おかげで夜も寝ずに本を読み続け、頭の切り替えの鈍い私は、現実で道を歩いていても自分が探偵や警察に尾行されているのではないか、と思ってしまったりと小説と現実がごちゃ混ぜになったような日々を送った(笑)

久々のリーダー業務、支障なく終えられるように一週間努力したい。

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2005.12.01

吃逆(きつぎゃく)=しゃっくり

入院されていた患者さんで手術後に吃逆が止まらなくなったという人がいた。
3日ほども吃逆し続けていただろうか。時々止まることはあるものの「やった、止まった?」と思ったらまた「ヒック」と始まるのだ。

先日、タイミングも悪かったのだろうが、彼は吃逆のせいで危うく命を落としかけた。
なんと、同室者に首を絞められたのだ。
同室者は精神的に落ち込んでおり、事実を冷静に受け止める心の余裕はない状態だった。
そのような患者と同室にしていた私達にも責任はあると思われるが、とにかくその同室者は「あまりにもしゃっくりがひどいので可哀想に思って、この人を殺して自分も死のうと思った」と、真夜中に彼の首を絞めた。

彼の吃逆はその時のショックもあったのか、それ以降おさまった。

ちなみに、吃逆は横隔膜の痙攣で起こるものであり、一過性のものもあるが病的なものもあるとのこと。
そして吃逆は現代医学では確実に止める方法がないらしい。
私達も、いくつか民間療法を試したが、どれもイマイチであった。
まずは、砂糖を喉の奥に流し込む。(喉ぼとけのあたりの舌の上に砂糖を置きゆっくり溶かす)
湯飲みの反対側から水を飲む。

あとは、私が知っているのは
柿のへたを煎じて飲む(この時柿のへたが手に入らなかったので実践出来なかった)
「なすびは何色?」と聞いてもらい「紫」と答えると止まる。
「豆腐は何から出来ている?」と聞いてもらい「大豆」と答えると止まる。

最後の二つは私の記憶違いかもしれない(誰もそんなこと知らないと言っていたので)が、この例を見ていて一番効いたのはやっぱり「驚かす」ということだったのかもしれない、と感じた。それにしても驚かすレベルが尋常じゃなかったけれども。間違ってたら殺されてたけど。

なにか、皆さんが知っている有効なしゃっくりの止め方、何かありませんか?

というのは、一度回復して良くなってその患者さんは退院されたのだが、また体調が悪くなって入院された。そして、また、吃逆が出始めたのだ。今は時間が経つと止まっているからまだ良いのだが。

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2005.11.28

頑張れ、40代

最近、立て続けに、40歳代前半の大動脈解離患者さんが3人(全て男性)運ばれてきた。

ちょっとお勉強。
「大動脈解離」とは…心臓から出る血液(動脈血)を全身に送るための血管を大動脈と言い、心臓から体の中心部を縦断して下に向かう血管を指す。
これが動脈硬化などで弾力を失った状態で、急な血圧の上昇などで強い力が加わることで、血管がすっぱり破れてしまえば「大動脈破裂」となって、体の中で大出血が起こり数十秒で意識を消失し即、死に至る。血管は3層で出来ており、そこの一層でも生き残れば、血管の3層が「解離」(分離)した状態で、圧力を受けて血管は変形(大動脈瘤が出来る)してしまうが、出血は免れる。
しかし、その血管は非常にもろい状態なので、いつ、そこの部分が破裂して死に至るか分からない状態となる。これが「大動脈解離」
石原裕次郎が襲われた病気、と言えばたいていの人は「あぁ、そうなんだ」と理解してもらえる。

治療法は大まかに言えば手術でその傷んだ部分を人工血管に取り替える方法と、血圧を低く抑えて絶対安静を保ち、裂けた血管の隙間で血が固まって強固になるのを待つ治療(降圧療法という)の二つがある。(降圧療法もいずれは手術適応)

一昔前は「大動脈解離」と言えば、動脈硬化が進んだ高齢者の病気であったのだが、最近は食生活や生活スタイルの変化により、若い人でも動脈硬化が進んでいることがあるために、この病気になることが多い。

ちなみにだいぶ前にかいた「ピアノマン?」の患者さんもこの病気だった。

この病気は突然に前触れ無く起こり、激しい痛み(主に背部痛)を伴う。その後意識を消失し、周りの人に発見されて(時には自分で呼んで)救急車で運ばれる。
そして病院に来て、手術を受けるなり、降圧療法を受けるなりして、状態が落ち着くと一般病棟に上がってくるのだが、今回の彼ら3人は、みんなまずは知能レベルの回復に時間がかかった。

発語がない(言葉が話せない)、身の回りのこと(洗面や食事や排泄)が一人で行えない、依存心が強い…
だいの大人がどうしちゃったの?という状態だった。
ちなみに、みんな独身。親が面会に来てくれるが、これがまた、必要以上に面倒を見てしまう(特に母親)

状態が落ち着いてくると、身の回りのことが徐々に一人で出来るようになり、私達の手を離れていくのだが、まるで子供の成長を見ているようだ。

この病気を発症した際に、合併症として脳梗塞などもおこしてしまうため、その影響もあるとは思われるが、40歳代の大人が、おねしょなどを平気でしてしまう。食事も前掛けをしないと口からぼろぼろと落としてしまい、服がすぐに汚れてしまう。清潔・不潔の観念がない。ベッド周囲もモノが散乱していた片づけが出来ない。

本当に社会生活をきちんと送れていたのか?と疑ってしまう状態なのだが、回復すると元の人格に戻るようで家族の方々は「以前の彼に戻りました」という。
しかし、それは私達がどう見ても、40代には見えない精神発達なのだ。

言葉が幼い、考えが短絡、依存心が強い、内にこもりがち、これで本当に元の仕事などを出来るのだろうか??と心配してしまう。

私なども年下であるにもかかわらず思わず、タメ語か子供に話すように話しかけてしまう。
どうしても年上とは思えない。

私達は病院という狭い社会しか見ていないから、40代の男性と言えば、医者やコメディカルスタッフくらいしか知らないが、こんなものなのか??
あまりに幼稚すぎるぞ、大丈夫か?

どうか、頑張ってくれよ、40代諸君。と彼らを見て願わずにはいられないのである。(笑)

これから冬の期間はこの疾患の多発時期。
毎年たくさんの患者さんが運ばれてくる。
予防法は適正な血圧を保つこと。そして、食生活や生活を正すこと。
発症までは自覚症状がない人がほとんどなのでなかなか難しいことではあるのだが。

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2005.10.28

大不穏

年に何人かはいる、こんな患者。
昨日、それにあたってしまった。

救急車で運ばれてきた88歳の男性
喀血して家族の連絡により救急車で当院に緊急搬送となったのだが、検査の結果、手術の必要性あり、と医師は診断を下した。しかし私達(看護師)は手術することに反対した。

まずは、高齢であること、現在は症状も落ち着いており、例え手術してそこの部分を治したとして、その先何年生きられるのか?
そもそも高齢な体はとても人工心肺を回す大きな手術に耐えられない、と私達は考えた。
そして、一番は本人が以前に手術を拒否しており(この病気があることは前々から本人は知っていて、近くの病院に通っていた)、現在は意識が清明ではなく(痴呆状態だった)手術の決断を本人がしにくい状況ではあるのだが、その意思が変わっているとは考えにくかったから。

もちろん、手術を受けるか否かの最終決定権は本人や家族にあり、私達がいくら反対しても本人が手術すると決めたならば、それをやめさせる権利はない。

その決断を今回は本人では難しいため家族にゆだね、いろいろな検査を行っていた昨日の昼過ぎにその出来事は起こった。

その男性の担当をしていた私は、ナースステーションのモニターで絶対安静(ベッドから起きあがってはいけない状態)の彼が、ベッドから降りようとしている姿に気付いた。
まだいろいろなルートが入っている。それが引っ張られて抜けたら大変なことになる。

慌てて病室へ走る。
本人をなだめてベッドに横にさせようと思うのだが、昼までは入院していることを理解していたはずの本人は、もう病院にいることは全く分かっていなかった。
監禁されていると思いこみ、行動を抑制する私に興奮して、まずは心電図を引きちぎった。それを押さえる私の腕に折らんばかりの勢いでつかみかかり、私に蹴りを入れた(そんなに痛くはなかったけれど)

彼の右手首にはAラインという動脈に針を刺して動脈圧を測定しているラインがあったため、それが万が一抜けると大出血につながる。彼はそれも引き抜こうとし始めた。それだけは死守しなければと私は彼をなだめたが、全く聞き入れる様子はない。
しかも、Aラインを入れている時には、手にラインが鈍ら(折れ)ないように手首が固定されるようにプラスチック製のシーネ(添え木、みたいなもの?)を装着しているのだが、それでパワーアップされた右腕(笑)で攻撃され、私の腕には内出血と擦過傷が出来た。

一人では埒があかない、とにかく応援を呼ばなければ。ナースコールを押す。
ナースコールとは患者さんが押すもの、と皆さんは思っているかもしれませんが、こういう押し方もあるんです、あんまり使いたくありませんが(笑)
ナースコールに気付いてモニターを見て私と患者さんが格闘しているのに気付いたのか、一気に数人のナースが飛び込んできた。

医師を呼んでもらい、患者さんを押さえてベッドに寝かせ、鎮静剤を使う。
しかし、興奮状態はすぐにはおさまらずに1時間ほど格闘が続いた。

幸い、その間に丁度面会に家族が訪れ、たぶんこれ以上の入院生活は本人にとっては耐えられないものであることを伝えた。

家族も納得され、必要最低限の処置を行い、手術はせずに早々に自宅に帰ることにした。
そうして、昼まで絶対安静で心電図モニターで常時監視しIVH(中心静脈栄養)も尿カテもAラインも入っていた患者さんは夕方には退院した。

仕事が終わって、自分の腕の傷を見ながら
あの患者さんにとって、これで良かったのかな。
他にもっといい方法があったのかな。
もしかしたら、家に帰ったら元気になるかもしれない。
もしかしたら、家に帰ったあとまた喀血して最悪死んじゃうかもしれない。
手術をしなかったことを後悔するかもしれない。
自分はどうすれば良かったのかな…

考えたけれども、答えは出ない。

いろいろと思うところがあった1日だった。
自分の傷が痛い…

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2005.10.23

学生の質

以前「学生指導」という記事にも書いたが、今年、私は病棟で学生指導担当を行っている。

現在も学生実習真っ最中なのだが…
(週末は休みですが)

前回は自分が考えていたよりも、学生の質が高かったとどこかで評価したのだが、今回の実習生は散々。(^_^;)
術後の観察ポイントは挙がってないし(ココは外科なので)、観察する根拠を尋ねても答えが出てこない。

「術後、患者さんの身体状況で気を付けなければならないことは??」
「術後の患者さんを歩かせる上で注意しなければならないことは??」
と訪ねても、沈黙…

まぁ、術後1日目はイメージもつかないだろうし、仕方ないだろうと何とか自分を納得させたのだが、その翌日になっても、学生の行動計画(その日1日の実習予定を書いてくる)は全然進歩なし。

教科書のマル写し、と分かる行動計画。「だから何なの?どうしたいの?」と喉元まであがった言葉を必死で押さえた。

全く、手術を受けた患者さんってものを分かってない。
呆れてしまった。
人のことは言えず、私も学生時代はできが悪かった方だが、こんなにひどくはなかったはずだ。

私達の時代だったら、こんな状態じゃ、患者さんの元には行かせてもらえなかった。(必要性も根拠も分かっていないあんたなんかには、援助なんかさせられない!患者さんのそばに行く必要はない!と言われて)

それでも、何とか理解してもらいたいと思って機関銃のように説明や指導をしていると、横から指導教官(学生の先生)が出てきて「この子は昨日は寝ずにこの計画を立ててきたんです、これ以上は求めないで、一つ一つ見学しながら教えてあげてください」と私が怒られた(笑)

寝ずに立ててきた計画がこれでは、悪いが、勉強の仕方が悪いとしか思えない。


看護師には適性があるんだと思う。
患者さんの気持ちを思いやり、配慮出来ること。
その前に、変化する身体状態に対して必要な援助を適切に判断し行えなければならない。
そうでなければいくら、患者さんの気持ちに共感したとしても、何も出来ていないのと同じ事になる。

その時々の状況で患者さんの何を見なければならないのか、何に注意しなければならないのかという身体に対する一般的な項目は授業で勉強出来る。自分でも想像してみればいくつか項目は挙がってくる。それを必要な時に挙げられないのであれば、その先にある患者さんの思いや欲求などの精神面に着目することなど出来ないと私は考えている。

私は、大学の授業では手術を受ける患者さんの身体面の変化を勉強しその知識が根底にある上で、実習先では実際の患者さんと向き合って、人間の心理面の変化や関わりを知ることが目的だと思っているので、病棟で身体面の変化のイチから教える必要はないと思っている。
しかし、そこすら理解していない状態で実習に来てもらっても、何も出来ないままに実習が終わってしまう。
実際、この学生に関しては、患者さんの気持ちや心理面の変化などにははるか到達せずに実習は終わってしまうと思う。

これが、初めて病院に実習に来た学生なら、それもあり得るだろうが、来年4月からは看護師として(国家試験に受かればね)働く学生であり、もういくつも実習を終えてきている学生がこれでは、先が思いやられる。


その学生は、来週、うちの病院の採用試験を受けるという。
思わず、「うちの病院では採用しないでください」と上司に報告してしまった。

もしかしたら、外科ではなく、内科であったなら、務まるのかもしれないが、少なくともうちの病棟では無理だと思う。刻々と変化する手術後の患者さんの状態をタイムリーに把握することは、かなりの努力をしないと無理だと思われた。きっと、働きだしてからその学生が苦しむことになるだろう、その上、重大な医療ミスをおこしかねない。

私は、もしかするとその学生の未来を決めてしまったのかもしれないが、もしかすると長い目で見て育てていけば素晴らしい本領を発揮出来るのかもしれないが…それでもその学生の指導を新人として入ってきてからイチから行うことは私はゴメンだと思った。

私ってば鬼教官?
こんな私の考えって、批判されてしまうのでしょうかね。
まあ、採用するかどうかは上層部の判断に任せます。ただ、現場の意見を率直に述べたまでと言うことで。
思わず、ブログで愚痴ってしまった。あぁスッキリした。(笑)

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2005.09.18

ハーモニカコンサート

ある日、初めて担当する患者さんの所へ朝の挨拶に行った。
彼のベッドの床頭台(テレビなどが置いてある台)の上に立派な箱が置かれてあった。
「何ですか?これは」
と聞いた私に、彼はニコニコとして「ハーモニカなんだよ、趣味で吹いているんだ。でも、病院じゃ大きな音では吹けないからね」と言いつつも、その場で数曲、小さな音で披露してくれた。

久々に聴くノスタルジックなハーモニカの音に心がじんわりした。

その患者さんは大きな手術を受け、回復し一度は自宅退院を果たしたのだが、自宅では食事が取れず、体力を消耗して数日で病院に戻ってきてしまっていた。長い闘病生活の中で心も疲れ果て精神疾患の診断をされてしまうほどに弱ってしまっていた。

そんな彼の心のよりどころはハーモニカだと私は感じたので、病院のホールや病院の外で思いっきりハーモニカを吹くようにアドバイスした。仕事の帰りに、ホールでハーモニカを吹いている彼を見つけて、曲をリクエストして吹いてもらったりもした。病院のホールで演奏をしていると、病院では聞くことのない珍しいハーモニカの音に、いつもホールにいた人たちも集まって一緒に曲を聴いてくれていたようだ。本人もそれにより活気を取り戻していっていた。

そんな彼に、思いがけない偶然が訪れた。
たまたま同室になった患者さんもハーモニカを趣味としており、とても話が合ったのだ。
二人はハーモニカで自分たちが元気になるだけではなく、入院している患者さんにも元気を付けてもらいたいと考え、自分たちから「ハーモニカコンサートを行いたい」と病棟に申し入れてきた。

そしてある夕方、病棟の食堂で小さなハーモニカコンサートが開かれた。
同じ部屋の(4人部屋だったが、その時は3人の患者さんしかいなかった)もう一人に司会を頼み、その方も手術の前日だというのに快くその役を引き受けてくれた。(手術前の処置で背中に針が刺さった状態で司会をしてくれたのだ)

数日前からその部屋のみんなで広報活動のために病棟に貼るポスターを作成したり、プログラムを作ったりして、検査などもある中忙しく過ごされていたが、その部屋は活気に溢れており、心が病んでいると診断されていた彼は、見違えるように活発に行動されていた。

ハーモニカコンサートは聴衆30人ほどの小さなコンサートだったが、それはとても素敵なコンサートだった。
私達職員も仕事の手を休めて、演奏を聞きに行き、その音色に癒された。

聞いている大人も子供も、楽しそうに聞いており、本人達の演奏に心からの拍手を送った。
本人達も、大満足そうな表情を浮かべており、それも私にとっては嬉しかった。

次の日に一人は退院、一人は手術、とその部屋の人々はみんなバラバラになってしまったが、私達にとってもそのメンバーは思い出深いものになった。

そんなこともあってか、本人達の入院中の印象もとても良かったらしく、退院後3人全てからお礼の手紙と品物が届いた。決して、お礼があるかないかが入院中の印象全てを決めることではないのだろうが、やはりそれだけそれぞれ3人にとって嬉しく印象深い入院だったに違いない。

3人とも、かなり離れた場所で暮らしている人たちなので、もう会うこともないかもしれない。病院という場所で出会って、意気投合し、一つのイベントを成功させた、その思い出はきっとみんなの中に一生残ることだと思う。

病院という場所は、私達職員が看護や医療を提供する場だと思っていたのだが、患者さんたちからイベントをしたいと申し入れられ、それを成功させ、他の患者さんや私達職員も癒しをもらった。これは、患者さんから私達が看護されたのかな、と思う。
ある夏の日の素晴らしい出来事の話。

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2005.09.14

偶然の再会

予期しない人と、予期しないタイミングで偶然再会。病院でもそんなことがある。
一本の病院の放送がある再会を生んだ。
私の受け持ちの患者さんが体験した話。

その患者さん(50代の女性)は、道南のある町に住んでいた。
脊椎の重い疾患に冒され、地元の病院では手術出来ないと診断され、最後の望みをかけて札幌の病院にやってきた。しかし、手術を受けたが、後遺症として下半身麻痺が残ってしまった。

そんな彼女が私の働く病棟で闘病生活をしていた時のこと。
時々流れる、院内呼び出し(患者さんや職員を呼び出す放送のこと)で、ふと昔の恋人の名前を聞いた。
病室も放送されていたので、入院しているらしい。

しかし、同じ町で育った幼なじみだ。こんな遠いところの病院に果たして彼がいるのだろうか。
同姓同名かもしれないし、しかも、自分は今こんな姿になっている。
会いに行ってみようか、やめておこうか・・・
二人とも歳を取っている。このまま思い出にしたままの方がいいかしら。
彼女はとても迷ったという。

しかし、彼女は会いに行ってみることにした。
放送で呼ばれていた科の病棟に行き、その人を訪ねた。

やはり、放送で呼ばれた人は30年ほど前に別れた昔の恋人だった。
車椅子で訪ねていった彼女の姿に、彼はひどく驚いたという。
しかし、彼もまた、不治の病に冒されており、残された期間はわずかだったのだ。

彼女は別の人と結婚していたのだが、男性の方はずっと独身だった。
その日から、彼女は毎日彼に会いに行き、つかの間の時間をその彼と一緒に過ごした。
きっと二人は昔に戻って過ごしていたことと思う。

そんな二人にも別れがやってくる。
彼が、亡くなったのだ。
彼の最期の時、彼女は回復のための手術を受けていたため、立ち会えなかった。

彼女はその時の心境を私に深くは語らなかったが、ふとつぶやいた
「これは偶然ではなく必然の出会いだったのかもね」と。
彼が亡くなる直前に愛しい昔の恋人の彼女を呼び寄せたのかもしれない。


彼の、彼女に対する思いが別れてからも続いていたことを証明する出来事があった。
彼が亡くなってから、彼女の元に彼の親族から一通の手紙が届いた。
彼の財産の一部の相続権が彼女にあるという。
彼は彼女と別れてから彼女名義の口座でお金を貯めていたというのだ。
そして彼の遺言でそれは彼女自身に渡すことを希望していたという。

彼女はそれを断った。
彼女には今は別の生活がある。
優しい夫がいた。
お金を受け取ることが夫を裏切るとは言えないのだろうが、彼女はそのお金を受け取ることがどうしても出来なかった。

その後彼女は病状も回復し、リハビリ専門の病院へと転院していった。
きっと彼女は、私の病院に対してはほろ苦い切ない思い出を残したに違いない。

これが単なる偶然だったのか、それとも必然だったのか、それは誰にも分からない。
しかし、亡くなった彼はきっと最期は満足していたことと思う。
数十年ぶりにずっと思い続けた人と出会えた彼は、最期はきっと幸せだったに違いない、と私は信じている。


今は「個人情報保護法」のおかげで、入院患者さんの院内呼び出しをする時にも入院している病棟・病室を放送することはなくなってしまった。
なので、もうこのような出会いが起こることはないかもしれない。

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2005.09.11

死神

9月に入ったというのに、今日は札幌はピーカンの晴天、気温も真夏並みに上昇。
まだまだ、夏は終わらないかな?
もう季節はずれになっちゃったと思っていたけど、先日のゆうれい話に続いてもう一丁涼しくなる話を提供しようかな、と思う(笑)

「死神」って怖い響き。(≧◇≦)
かつて一緒に働いていた同期の女医さんが、私に「死神」の話しをしてくれた。

彼女は霊感が強いらしく、いろいろなところで霊が見えるとのこと。
そして、亡くなる患者さんの側にはいつも死神がいると言っていた。

患者さんのベッドの四隅に一人ずつ死神が立つのだそうだ。
最初は一人から。
次の日には増えたり、患者さんの容態が回復してくると減ったり・・・
そして、四隅に四人の死神が立った時、その患者さんは亡くなられるのだ、と。

病状の良くない患者さんがいると、毎朝、回診に回った後に「今日、あの患者さんには三人付いていた、ヤバイ・・・」なんて私に知らせてくれていた。
もちろん、私には見る事も気配も感じる事はなかったので、患者さんの看護をする上で怖いと思った事はなかったが、その女医さんの「四人立った、亡くなるよ」の予言は本当に的中しており、あながちウソではなかったのだろうと思う。

今は一緒に働く事もなくなってしまったが、彼女には今でも「死神」が見えているのだろうか・・・

一体どんな格好をしているのだろう、男性なのだろうか、女性なのだろうか、今思えばいろいろ疑問が出てくる。その時の私はあんまり興味もなかったらしく深く話を聞くこともなかったが、今思えば、その先生にもっとしっかり死神の話を聞いておけば良かった(笑)

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2005.08.10

ナースコール依存症?!

患者さんがナースコールを押す時、それはたいてい看護師に用事がある時なのであるが、そうとは限らない事もある。

「間違って押ささってしまった」「子供が間違えて押してしまった」程度なら、こっちも笑顔で「そうだったんですねぇ~」とほっとするのだが、これが忙しい夜勤の時、ナースコールで呼ばれて急いで行くと「寂しかった・・・」「ただ呼んでみただけ」なんて言われ、退室してもまたすぐにコールが来ることが何回も繰り返されると、いつもは寛大な(?)私でもちょっとブチ切れてしまう。

時々、そういった患者さんがいる。ちょっとボケてしまったご老人とか、一人が不安でたまらないという子供とか。(子供の場合は怒ったりする事はありませんよ、もちろん)

今、入院している患者さんにもそんな患者さんがいる。しかも、今まで経験した事のないような激しいコールの回数!(笑)
気切(気管切開=のどに穴を開けてそこから呼吸している。そのため話す事は出来ない)している人のため、ナースコールでの対応は出来ず、呼ばれると必ず訪室するのだが、「特に用事はない」「ココが痒い」(自分で手が届いているのだから自分で掻ける場所)「今、何時?」程度の用事。下手すると訪室すると今コールを押した事を忘れて寝ている事すらある。

時間帯にもよるが、ひどい時には五分と経たずに彼からのナースコールが来る。彼の訴えを聞いて解決させて、退室しようと部屋から一歩出ただけで彼からのコールが鳴っている事すらあるのだ。よくもまあこんなに用事が思いつけるものだと感心さえしてしまう。しかし、こういう事が何度も続くと、私達も「またか」「どうせろくな用事じゃない」と「オオカミ少年」さながらに感じてしまう。それでもやはり「もしかして苦しいとか痛いというコールだったら?」と思ってすぐに訪室するのだが、その思いはいつも裏切られてしまう。

彼は寝ながらもナースコールを握りしめており、コールが手元にないと不安になって必死にナースコールをくれ、とアピールしてくる。しかも、寝ぼけてナースコールを押す事も多く、私達としてもなんとか、必要最低限の用事にして!用事はまとめていっぺんに言って!と頼むのであるが、一向にコールの回数が減る様子はない。

私達の間では「回数制限付きで、1日100回を越えたらナースコールが爆発するようにしたら?」「一回につき100円取るようにしたら?」「ダミーのナースコールを持たせたら?」など冗談ではあるが、過激な意見もでるのだが、彼にとって見れば、ナースコールが命綱、私達との貴重な接点、なのだろう。

もうしばらく、彼の不安が落ち着くまで、頻回なナースコールにもつき合ってあげようと思う。(業務に支障を来さない程度に、ですがね)

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2005.07.28

生きるための闘い…の末に

以前に書いた「生きるための闘い」の記事の後日談。

明日、彼女は自宅に退院することになった。
先月内科に転科して、今月のはじめに地元の病院に転院し、外泊を経たあと、無事に退院となったのだ。

これだけ順調に回復出来るとは私達の誰もが考えていなかったことであり、その順調な回復は本当に奇跡のように思えた。
彼女が若くて体力があったことも幸運だったが、きっと、それに加えて本人と周りの人たちの強い思いが回復を後押ししてくれたのだと思う。

彼女とは、転科の後からはメールでやりとりしている。
先ほど突然に、退院することになったというメールが届いた。
まだ、内服薬の調整などが必要なため、もうすこし入院が長期化すると思っていたので本当に嬉しい知らせだった。

家に帰っても、いろいろな問題はつきまとうことだろう。
今までのような生活は送れないかもしれない。
念願の仕事も、今はまだ復帰の目処は立たない。
本人も、外泊で家に帰ったら部屋に仕事の道具がいっぱい溢れていて辛かったと話してくれた。
悩むことも多いだろう。

しかし、病院から出られて自宅で生活出来るようになれたことは、私にとっても本当に嬉しいことだ。
医師達にとっても大きな喜びであったようで、新聞に載せることも話しているらしい。

私達の喜びと希望を背負って、彼女には一生懸命生きてもらいたいと思う。

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2005.07.24

さんしんの朝

さんしん…私達の職場で作られた造語(?)で「3深」と書く。
3深…それは3日間、深夜勤務(0時から9時までの勤務)を行うこと。
同類語に「さんじゅん(3準)」(3日間準夜勤務(16時から0時までの勤務)を行うこと)がある。

3深…その言葉の響きに私達が思うことは…「辛い」「厳しい」「かわいそう…」

私の勤めている病院では、基本的に夜勤は1日目:深夜勤務、2日目:深夜勤務、3日目:準夜勤務、4日目:準夜勤務、という4日間で1クールとなっている。

他の病院では、日勤-深夜(前の日が日勤、次の日が深夜勤務)、準夜-日勤(前の日が準夜勤務、次の日が日勤)などの次の勤務まで1パートしか空いていない勤務体制をしいているところも多いが、うちの病院では必ず2パート以上の休みが入るようになっているため、夜勤はこんな勤務形態になっている。

…と説明したところで、なかなか普通の勤務をしている人には理解しがたいと思う。
私も説明しているうちに、こんがらかってきた。もっと上手く説明出来ればいいのだが。

それで、現在私は夜勤中なのであるが、本来は普通の2深2準の勤務の予定だった。
2日目の深夜勤務に向かおうとしていた23時過ぎ、携帯に着信。
「師長から?!」
慌てて電話を取る。

 私 :「もしもし?」
師長 :「もしもし、チカさん。あのね、もう1日深夜やってもらえない?」
 私 :「えっ?」
師長 :「○○さんの親戚に不幸があって、忌引きになったのよ、それで深夜をやる人がいなくって…」
 私 :「いいですよ」

次の日で深夜勤務が終わるという気持ちもあって、その日はあまり眠っていなかった。次の日も深夜勤務だと思うと、仕事前だというのに一気に疲労が来た…。

師長 :「チカさん、もしかして、夜勤明け、山に登る予定でもあった?」
 私 :「いえ、別にないです…」
というか、夜勤明けといっても深夜と準夜の間であり、実質30時間ほどの空き時間は出来るが、休日ではないので夜勤が終わった後や夜勤の前に山に登るなんて芸当は、少なくとも私にとっては体力的にも精神的にも無理な話である。

眠っていないことと、もう1日深夜をしなければならないことで、私は精神的に疲労してしまった。
深夜勤務は一番体に良くないと思う。真夜中に働き、昼間に眠るという生活は、いくら夜勤慣れしていてもやはり辛い。

フラフラになりながら2深目を終えて帰宅。
眠ろうと思うが、天気も良く、もともと用事を入れてい